「ドイツ無料留学問題」から、フリーライディングはどこまで可能かを考える

オピニオン

こんにちは、藪内です。

 

最近ヨーロッパ在住の一部の日本人の間で話題になっているのが、「ドイツ無料留学」問題です。

 

どうやら、Twitter上で、ドイツ在住の一部の日本人が「ドイツには無料で留学ができる大学・制度が存在する」という情報発信をしていて、若い人たちに海外にでるハードルを下げる、海外でのキャリアの積み方について提言をしているのですが、それに対して「大学は無料なのは確かだけれど、税金が投入されている」「留学はできるかもしれないけれど、ドイツ語が一定レベル以上でできないと卒業後のキャリア開発も海外(ドイツ)生活も簡単ではない」という反論が起こっている、というものです。

(TwitterのTLをざっと見ただけなので、細部まで正確に把握はできていない場合があることをご了承下さい)

 

この議論(水掛け論?)に関しては、「無料で留学するんであれば、MITとかが提供しているインターネットの大学無料講義を見て勉強したほうがいいんじゃないの?」とか「国の税金が投入されているのは分かるけれど、今EUという超国家的枠組みが存在しているなかで、「国」という共同体をどこまで認識すればいいの?」といったツッコミもできるのですが、今回は「フリーライダー論」の視点から、この問題に対する意見をまとめておこうと思います。

 

※「フリーライダー」というのは「活動に必要なコストを負担せずに利益を享受する者」のことで、全く仕事をしないのに月給をもらっている会社員や、今回のような授業料を払わずに大学に進んで知性と学歴を手に入れようとしている人などを指します。

 

 

フリーライダーの気持ちは分からなくはない

最初に、この問題に対する僕のスタンスは「フリーライダーは好ましい行為ではないし、留学をするのであれば(自分でお金を工面するなり、親御さんに工面してもらうなりして)学費も含めて、きちんとお金は準備すべき」というものです。

 

ただ、フリーライダーという立ち位置は傍から見ても魅力的ですし、そういう生き方に食指が伸びてしまう気持ちも分からないわけではないんですよね。

 

フリーライダーというのは、究極的には「自分(だけ)が良ければいい」という「ミニマリズム」が発露された生き方で、こういう生き方が日本だけでなく海外でも、日本人だけでなく様々な国籍の人が何かしらの方法で「フリーライド」をしたいとは考えています。

 

パーマネントトラベラー(PT、日本人の場合、日本から住民票を抜いて、かつ海外に拠点を構えるわけでもなく、税金を納めずに世界を移動し続ける人たち)もそういうスタイルを採っている人たちですし、少し前に話題になった「パナマ文書」でも問題になった「タックスヘイブン(を利用する人たち)」も、税金を納めたくないからお金だけ稼いで、利益を国外に逃がしてお金を残しておこう、ということをしているわけですから、ある意味「フリーライダー」になります。

 

こういう生き方は、ある意味非難・糾弾されるべきものではありますが、一方で現実問題としてこのような生き方をする人が増えてきている、ということは「既存の共同体に属していても、全員で幸せにはなれない」ということを皮膚感覚で理解している人たちが増えてきている、ということを意味していると癒えます。

 

少し前の日本がそうだったわけですが、「一億層中流社会」と言われていて、国民の多くが平均的な給料を得て、「みんなでそこそこ幸せになる(暮らす)」というのが理想とされ、かつその理想を全員で目指す、ということが実践された時代は確かにあったわけです。

 

ただ、日本の場合はバブル崩壊と共に国全体が貧しくなっていき、その中で「自分さえ良ければよい」という考え方を持った人たちが一定数出てきました。はっきりと言えるのは、これまでの「日本という国、国民という集団」という「大きなまとまり」での視座を失った(あるいは、意図的にその視座をなくした)人が増えていき、一種の「個人主義」「ゲリラ主義」が蔓延していくことになったのです。

 

僕自身は、海外で生活をしながら税金は日本で納め続けているのでフリーライドをしているわけではありませんが、日本の国会や内閣の取り組みを見ていると「こんなことに自分の税金を使われるのは…」と思ってしまうことも多々あります。

 

そういう意味では、僕自身も「フリーライド」にはある種の魅力を感じますし、実際にそういう人たちを見ると「自分はこんなに苦労をしているのに、なんであいつらはあんなに楽をしているんだ」と思うことだってありますし、あなたも似たようなことを考えることだってあると思うんですよね。

 

フリーライダーは長期的に見るとデメリットしかない

しかし、長期的視座からこの問題を捉えてみると、フリーライドにはデメリットしかありません。

 

フリーライディングは、瞬間的(短期的)に捉えると「おいしい」取り組みです。だって、仕事をしなくてもお給料が入ってきますし、授業料を払わなくても海外で暮らしながら勉強ができるわけですから。

 

ですが、瞬間的(むしろ「断片的」と言っても良いですが)には「美味しい」と思っても、更に長期的、全体的に考えてみるとどうでしょうか。

 

会社に行きながら仕事をせずにお給料を頂いていると、会社の業績が傾いて立て直しが難しくなったときに、真っ先に「フリーライダー」はクビを切られてしまうかもしれません。あるいは、無料で大学に通うことで、果たして本人が考えている、欲している学力や知性を備えることができるのか? 「無料」であることが理由で勉学に身が入らず、キャンパスライフを通して時間を無駄にしてしまった…なんてことが起こり得る場合だってあるわけです。

 

全体像(ゲシュタルト)を捉えることと痛みを伴うこと

「フリーライダー」に決定的に欠落している能力は、ずばり「全体像を捉える」ことです。厳密に言えば、フリーライダー本人は「全体を見ている」と思っているのですが、井の中の蛙なんちゃら、ではありませんが、実は更に外の世界がそこにな存在しているわけでね。

 

この「全体像」というのは「ゲシュタルト」とも言うのですが、どこまでをゲシュタルトだと認識しているのかによって、世界はいくらでも広くなりますし、逆に狭くもなります。

 

「無料で海外の大学で勉強できる」という構図を、この文字通りの世界でしか捉えられない(それをゲシュタルトとして捉えている)場合と、「無料で授業が受けられるということは、そのお金はどこから準備されているのかな? 他の一流大学がインターネットで公開している講義を使って勉強することはできないかな? 無料で留学をすることで何が得られて、それが将来どうやって役立つのかな? 過去に同じような仕組みで海外に渡った人にはどんな人がいて、今はどこでどんなことをされているのかな?」のように、自分なりに更に大きなゲシュタルトを作って(イメージして)考えを巡らせられるかどうか、というのは、似ているようで恐ろしいほど違っています。

 

この「ゲシュタルト」を把握する(イメージする)力はビジネスでも私生活でも大切で、小さなことで「損した、得した」というレベルでしか世界を捉えられていないと、より大きなゲシュタルトで捉えたときには、その個別のパーツの意味が180度変わる場合がある場合でも、その「本当の意味」を知らないままになってしまうのです。

 

これは例えば、店頭で化粧品の試供品が頒布されているときに「無料だ、ラッキー」と思って手に取るのと、「ここでは無料で配布していると言うことは、どこか別のところで売上を上げているのかな?」ということまで考えられるか、という「消費者目線」でも違います。

あるいはビジネスをする側として「無料でこのサービスを使ってもらっても赤字でしかない」と考えるのと「このサービスは無料でも、その中からファンにだけ残ってもらって、有料サービスの価値を理解してもらった人にだけそれを提供しよう」と考えるのとでは、同じ行為をしても(同じ事象を目にしても)そこから見出す意味というのは、ほぼ180度変わってしまうわけです。

 

ビジネスをされている方にとっては自明のことですが、ビジネスをする場合は「短期的には自分が損」くらいのスタンスで取り組まないといけないわけです。短期的にお金が回っても長期的に回らないと意味がありませんから。

 

そういう意味では、「ウマい話には裏がある」「タダより高いものはない」ではありませんが、何事もフリーライドをしようと考える時には、一見表には出ていない世界までをゲシュタルトとして掴む(掴もうとする)ことが大切になるんですね。

 

 

もう一点、フリーライダーの致命的な欠点は「痛みを伴う」ことを避けたがる、ということです。

 

こちらも当たり前に分かっていることなのですが、人間というのは同じサービス(商品)でも、その値段が高ければ高いほど、それだけの価値を見出そうとします。究極的な話をすれば、中身もページ数も全く同じ本を、片方は500円で、もう片方は5000円で手に入れた場合、人間は後者のほうに「より価値がある」と思ってしまう(そう思うようにする)生き物なのです。

(厳密に言えば書籍の場合はそこまで差がつくわけではありませんが、個別コンサルや何らかの高額な商品を買おうとする場合は、そういう心理が働きます。)

 

僕はよく、「図書館で本を借りるくらいならAmazonか近くの書店で買って読んだ方が100倍頭に残る」と言っていますが、自分でお金を払う、というのは一種の「痛みを伴う作業」なので、それができない人は、僕からすると「本気で自分のことを考えているのかな?」と思うのです。

 

「海外で無料留学」であれば、学費をかけずに勉強をして本当に身につくのかな?本当に自分のためになるのかな?と考えてしまいますし、本当に海外に腹を括って留学をするのであれば、数十万円でも数百万円でも自分で用意して、「絶対にこれ以上の価値を留学中(あるいは留学後)に取り返してみせる」という気持ちがないと、留学は上手くいかないでしょう(これは留学に限ったことではありませんが)。

 

痛みを伴うことも、ある意味では「より広いゲシュタルトを捉える」能力です。この能力が欠落している場合、フリーライドをやっても何の実入りもなく、数年という時間をゴミ箱に捨ててしまうことになりかねません。

 

まとめ

フリーライドについては、表向きは反対しながらも、深層心理では「あわよくば狙って」いる人も、少なからずいるのが事実だと思います。

 

しかし、短期的、狭隘的にしか物事を捉えられないと、長期的に、全体的に世界がだんだん広がっていった場合に大損をこくことになります。お金だって、短期的に考えれば「自分1人が儲ける」ことが善と考えがちですが、お金は世界を循環していますし、全体的な視座を身につければ、自分だけが儲けるだけでは全体が立ちゆかなくなってしまうと考えることもできます。

 

部分的には善とされるものが合わさって大きくなると、全体的には間違った世界が作り出されることは「合成の誤謬」と言われますが、フリーライディングを行うことで、あなたの身の回りでもこの誤謬が起こってしまうことだってあります。

 

より広い、長期的な視点でゲシュタルトを構築して、その場その場での判断と行動を取れるようになりたいものですね。

 

 

 

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