クレクレ君よ、さようなら

オピニオン

こんにちは、藪内です。

昨日は、東京五輪の
「ボランティア」問題について少し触れました。

この問題は、運営側が自ら
「無償で手伝って下さい!」
と言っていることでした。

まだ、本当の意味での有志が
「僕たちが手伝いますよ!見返りは求めません!」
という風に積極的に関わるのであれば、

本当の意味でのボランティアには近いですし
むしろそういう姿勢は評価してもいいと思います。

ただ、五輪に限って言うと
あれは国家プロジェクトですし
後ろでとても大きなお金も動いているので、
さすがに「タダ働きして下さい!」
と言うのは、道理に反していると思うのです。

ここで大事なのは、物事は基本的に
「何かと何かを交換する」ことで行われる、
ということです。

仕事で言うと、
自分の時間やスキルを提供することで
お金を手に入れているわけですから、
これは

「時間やスキル⇔お金」

という、交換が行われています。

セミナーや勉強会だと、

「お金⇔スキルや人的ネットワーク」

という交換になるかもしれません。

(普通は「人脈」という言葉が使われますが、
僕はこの言葉を好き好んで使わないので
ここではあえて違う言葉を使っています)

そして、上の交換には片方に「お金」が出てきていますが、
別にお金のやりとりが発生しないときだってあります。

ファームステイやゲストハウスの仕事などでありますが、

「時間や労働力⇔食事と寝床」

というような交換が行われることもあるので、
必ずしも、お金のやりとりは発生するとは
限らないのです。

ただ、いずれにせよ基本的には
「何かと何かを交換する」
という構図が成り立ちます。

「何かをあげて、何かを受け取る」

ということですね。

ただ、この構図が少し広がると、
必ず以下のような属性の人たちも出てきます。

それが

「何かをあげて、何も受け取らない」

「何かを受け取るけど、何もあげない」

交換をせずに、一方的に与えるか
一方的に受け取るか、というポジションの人が
必ず出てくるのです。

まあ、こういう人たちが出てくるのは
仕方ないことなのですが、

これらの中で一番タチが悪いのが

「何かを受け取るけど、何もあげない」

という人たちです。

例えば、オリンピックでボランティアを
募集する側の人たちですね。

まあ、この人たちの本当の思惑は
何か分かりませんが、

表面的には
「一方的に労働力を欲しがっているけど対価を払おうとしてない」
という風に見えるので、

この属性の人たちを
「クレクレ君」と呼ぶことにしましょう。

この、クレクレ君は
自分は何も差し出さないけれど
自分は何かを欲しがっているので、
関わると一番面倒くさい人たちです。

これは別に、仕事の対価を払わないとか
お礼の言葉を伝えないとか、

そういうのに限らず
相手からエネルギーや時間を奪ってしまう
人たちにも当てはまります。

やたら、自分の話を聞いて欲しがっている
人とかがいますけれど
そういう属性の人たちがこれに当てはまります。

まあ、相手をしている人が別に構わない
と思っていたら問題はないのですが、

「一緒にいてて疲れるなあ」とか
「面倒くさいなあ」と思われる場合は、
相手が「クレクレ君」である可能性があります。

逆に、進んでボランティアをする人とか
あるいは、何の見返りも求めず
行動する人も世の中には一定数いるわけで、

そういう人を、ここでは
「アゲアゲ君」と呼ぶことにしましょう。

アゲアゲ君は、クレクレ君より全然ましで、
むしろ一定数いるほうがいいのですが、

この人たちがいることで、
クレクレ君が逆に幅を利かしてしまうのも
また事実です。

どういうことかというと、
「アゲアゲ君は何の見返りも求めずに
行動しているから、もっと多くの人が
無償で何かを提供するべきだ!」

という、クレクレ君に都合のいい論理に
すり替えられてしまうことがあるのです。

ちなみに、この論理で言うと
別にアゲアゲ君は、クレクレ君とのやりとりで
「見返りを求めず」行動しているわけでは
必ずしもありません。

もともと「何かをお互いに交換する」
という前提がある中で
「いや、今回は見返りを求めないですよ」
という行動をしている場合だってあるのです。

だから、そもそも

・アゲアゲ君が見返りを求めずに何かをする

ということと

・アゲアゲ君がクレクレ君のために
見返りを求めずに何かをする

というのは、似ているようで
全く異なる論理構造になっていることを
理解しておかないといけません。

アゲアゲ君の立場とクレクレ君の立場では
持ち出す論理構造が違っている可能性があるのです。

なので、よくビジネスとかでも
「まずは見返りを求めずに相手に与えましょう」
のような黄金律が出てきますが、あれが

「見返りを求めずに何かを提供するのが普通だ」

という風に曲解されることもあるので、

たとえ、実際には「見返りを求めず提供する」
という行動を取ったとしても、

心の中では(特にビジネスの世界では)
「お互いに何かを交換している」
という考えを持っておいたほうがいいです。

(でも、この考えは恋愛とか友人の関係だと
話が変わってくるので、あくまでビジネス・仕事での
話だと、とりあえずは考えて下さい)

というより、日本ではこの
「見返りを求めずに何かをする」という考えが
一人歩きして、というか成長しすぎて

「何かを受け取る」ことが
あまりにも軽視されてしまっていると思います。

多分、何かを提供した代わりに受け取る
一番分かりやすいものは、ここでも「お金」だと思いますが、

仕事で言うと、お金を受け取るから
緊張感を持って、精一杯取り組めるというのは
ある程度正しいのです。

実は、ここで一番大切なのは
「受け取るだけの器があるかどうか」
ということです。

たとえ、何かを交換するとしても
自分に、それを受け取るだけの器がなければ
交換はできないのです。

例えば、大きな仕事で報酬の額が
普段より一桁も二桁もいきなり違うと

プレッシャーで結局仕事が受けられなかった、
ということはよくあります。

まあ、これはお金の例ですが
もっと抽象的な「エネルギー」で考えてみると、

スポーツ選手が、より大きなステージで
プレーをするときも
観客の熱気や会場のオーラに
飲み込まれてしまうことだってありますし、
(甲子園とかもそうですね)

音楽や舞台芸術のプレーヤーでも
舞台が変われば自分の力が発揮できない、
ということだってあります。

つまり、お金に限らず
僕たちは仕事などで
「何かを与えて、何かを受け取る」
ことを経験していくわけですが、

この「受け取る力」というのは
実際に経験して場数をこなさないと
大きくならないし、自分のものにはならないのです。

そういう意味でも、
受け取る器を大きくするチャンスを
そもそも作らない「クレクレ君」はもちろん、

日本で礼賛されがちな「アゲアゲ君」も
自ら器を大きくするチャンスをなくしている
という意味では、実は大差ないのです。

なので、これまで「交換する」ことを避けてきて
(そもそも機会がなくて)自分の器を
大きくしてこなかった人は、

これから器を広げていくことを
意識して取り組んで欲しいのです。

 

それでは、今回はこの辺で。

 

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