その国で生きる人の「責任」

海外生活

こんにちは、藪内です。

昨日、10月23日は
ハンガリーは祝日でした。

今から62年前になるのかな、
1956年のこの日から
「ハンガリー動乱」と呼ばれる
革命未遂が発生しました。

(革命しようとしたけれど
鎮圧されたので「未遂」です)

WWII(第二次世界大戦)が終わってから、
いわゆる「東欧」と呼ばれるエリア一帯は
旧ソ連の「衛星国」となりました。

ポーランドしかり、
当時のチェコスロバキアしかり
ここハンガリーもしかり。

ただ、当時実権を握っていた
スターリンが53年に没してから
それまで秘密にされていたことが
漏れていって(粛清のこととかです)

そういう情報を元に
「これはヤバい」と思った人たちが
ブダペストなどで蜂起を始めたんですね。

東欧革命(未遂)と言うと
一番有名なのは
1968年の「プラハの春」だと思いますが、

その12年前に
ハンガリーで先に、そういう動きがありました。

結局、ソ連がハンガリー政府の代表を
すげ替えるなどして
動乱は鎮圧されたのですが、
その中で流血もあって
騒然とした状況になっていたようです。

もっと言うと、
当時のハンガリーでは
この動乱のことは「タブー」視されて
1989年の東欧革命
(諸国が共産主義を捨てて
民主化を達成した年です)
が成し遂げられるまで、
話題にしてはいけないテーマでした。

(なので当時は、この動乱の真相も
よくわからなかったらしいです)

ちなみに、ハンガリーにとって
10月23日は二重の意味で重要な日付で、

1956年の動乱と、
1989年のこの日に、無血での民主革命を
成し遂げています。

それくらい重要な日なんですよね。

昨日は、仕事でバタバタしていましたが
17時くらいから「恐怖の館」という
博物館に行って、
キャンドルライトアップのイベントに
参加してきました。

イベントというか、建物の周りに
ろうそくを立てるだけのイベントですが。

本当は15時から大きな式典があったようなのですが
それどころじゃなかったので、
またこのイベントは、来年にいこうかなと……

という感じで、
確か去年、ハンガリーの視察にきたのも
ちょうどこの時期だったのですが
去年は全然知りませんでした。

祝日になっていることだけは知っていて
お店が開いているのかどうかだけを
心配していた記憶があります。

で、今回は

その国で生きる人の「責任」

というタイトルにしたわけですが、

留学とかワーホリとか、
他の方法でももちろんですけれど

一定期間(長い間)外国に住むのであれば、
その国の歴史を知ろうとすること、
それに興味を持つことは

最低限の「責任」だし
言葉を変えると
「義務」「マナー」
だと思います。

だから、僕はポーランドにいたときにも
特にWWII時代の歴史については
結構勉強をしました。

ワルシャワに住んでいたので
ワルシャワ蜂起の話が主でしたが、

友人と一緒に
強制収容所に行くこともありました。

(アウシュビッツは、2010年に
行ったことがあって
それ以来行けていませんが)

そして、こういうことを「知る」っていうのは
好き嫌いの問題じゃない、と思うんですね。

多分、このメルマガを
読んでいる多くの方は
小学生か中学生のときに
平和学習として
広島に修学旅行に行ったと思います。

(最近は違うのかな?)

その時って、僕もそうでしたが
別に興味はないし
むしろああいう展示は苦手だから…
と思っていましたが、

それを含めても、
やっぱり過去に何があったのか、
ということを学ぶことは必要だし

それを「興味ないから」
という一言で片付けてしまうのは
住んでいる国やその人たちに対して
とても失礼なことなんじゃないかと。

別にね、こういうことを学んでも
テストに出るわけじゃないし
仕事で昇進や昇給するわけじゃありません。

むしろ、短期的に見れば
「役に立たない」ことの典型でしょう。

でも、役に立たないから学ばないのか?
ってのも違いますよね。

その国で暮らすのであれば
現地の人と(せめて英語で)話す時に
こういうテーマで話ができると
向こうも人を見る目が変わりますし、

そうでなくとも、
当時、必死に「自由」を求めて
闘った人たちは何を考えて
どんな風にその命を全うしたのか。

正直言うと、今の僕でも
そういう世界はイマイチ想像ができません。

し、それらの出来事に対して
安易な判断を下すことも
できることではありません。

ただ、自分の想像を遙かに超えた
過酷な世界があったことと、
その世界で全身全霊を注いで
生きていた過去の人たちがいたこと。

それらに思いを馳せることは
学べばできるわけです。

大切なのは、その事実を
自分なりに判断・解釈することではなくて

まず「受け入れる」ということです。

「そういうことがあったんだな」

と、ある意味突き放して見てみるわけです。

その上で、判断や解釈はペンディングしておく。

けれど、自分が経験してきた世の中より
遙かに壮絶な世界があったことを
知るだけで、自分の人生の糧にはなるんですよ。

ただ、これは決して
「自分より苦労している人がいるから
自分ももっと頑張らなくては」
っていう発想ではありません。

なんというか、ある意味自分への
絶望感や無力感を味わうって感じです。

今自分はこの世の中に生きているけれど、
単純比較できないような壮絶な世界があって
そこに生きた人たちも確かにいた。

その上で、自分が今できることはなんなのか。

そういうことを考えるきっかけを、
海外生活をするなら作って欲しいのですね。

いや、海外生活に限りませんけれど。

最近懸念しているのは、
インスタントでライトなものが
好かれる、取り入れられる傾向に
あることです。

仕事のスキルや色んなノウハウ、
ライフハック的なトピック。

あるいは、海外生活でも
物価の安さとかビザの取りやすさとか。

とても、表面的な(薄っぺらい)テーマが受けて
誰もが表層的な部分にしか
目を向けていないなあ、と感じます。

まあ、これはある種のポピュリズムかもしれません。
そういう部分に興味がある人が増えていて
そういう人たちに迎合すればウケるんでしょう。

でも、それってやっぱり残念だとも思います。

せっかく、その国にある程度の時間
生きることになるのですから。

数日とか、10日間の旅行だと
また違った発想になってくると思います。

でも、目先の話、表層的な話だけを
見つめても、
自分の人生や思考、体験、
あるいは口にする言葉。

こういうものに重みや深みは
生まれないと思うんですね。

ポーランドだったら強制収容所。
ハンガリーだったら恐怖の館。
オランダだったらアンネ・フランクの家。
ドイツだったらダッハウ強制収容所や、ベルリンの壁。

他の国にも、色々モニュメントはあると思いますけれど
そういう所に立ち寄って
少し歩みを緩めてみる、
ってことを、もっと取り入れてみて下さい。

普段の仕事や生活に追われるだけの人生、
少しでもいいので歴史に思いを馳せて
立ち止まってみて下さい。

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ぜひ合わせて学んで頂ければと思います。

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