こんにちは、藪内です。
瀧本哲史さん「君に友だちはいらない」に、興味深い内容が載っていました。
以下、少し長くなりますが全文を引用します。
昨今では「ノマド」や「フリーランス」と称する働き方が若い人たちの間でもてはやされる風潮がある。会社や組織に所属せずに、フリーな立場でいろんな仕事にプロジェクトベースで関わり、ノートパソコン1台を持って仕事をする。そんな自由なスタイルに憧れる若者がたくさんいるようだ。
だが、本質的にノマドやフリーランスは「強者」にのみ許される働き方であることに注意しなければならない。
そもそもノマドの語源でもある「遊牧民」は、人類が狩猟採集の時代の後に、農耕と牧畜を生み出して定住して生活するようになってから発生した暮らし方だ。牧畜によってクラス集団が一箇所に定住し続けると、やがて家畜がその周辺の牧草を食べ尽くしてしまうために、継続的に家畜を大量に養うことができない。そのために家畜を放牧しながら、牧草を求めて移動sルウ生活様式が生まれた。これが「ノマド」(遊牧民)の起こりである。
だが家畜を放牧しながら、移動して暮らすことには大きなリスクがある。家畜を柵で囲っておくことができないために、狼などの害獣に家畜を襲われることもあるだろうし、泥棒に家畜を盗まれる危険にも常にさらされるからだ。
それゆえに家畜を放牧して暮らす人々には、そのような外敵を追い払う「軍事力」が必要となった。遊牧民たちは武器や犬などの軍備を定住者が住む「オアシス」から購入し、オアシスの住民たちは、遊牧民がやってくると彼らから家畜を購入することで動物性タンパク質を補った。砂漠のオアシスに暮らす定住者と遊牧民の人々はそうして相互補完的に生きてきた。厳しい砂漠の中でオアシスという一箇所に定住する暮らしのなかから、牧畜の「専業化」を果たした人々が生まれてきたとも言えるだろう。
(中略)
壁や柵に守られた、安全なオアシスに住む人が、自分の土地が狭いからといって突然「よし、自分もノマドになろう」と遊牧を始めたとしても、家畜を守る力がなければ、あっという間に他の遊牧民や盗賊に奪われてしまいかねないのである。
この構図は、現在でも企業をオアシス、フリーランスをノマドと考えれば、まったく同様である。現代の「オアシス」である企業のなかで、十分に力を発揮できている人が独立するからこそ、「ノマド」の働き方は成り立つのであって、「会社のなかでどうも居場所がない」と感じている人が一念発起してフリーランスにあんったとしても、悲惨な結果となるのは目に見えている。
さらに言えば、今のノマドブームを煽っている人たちのビジネスモデルを注意深く見てみると、彼ら自身、「ノマド的働き方」でビジネスが成功しているわけではなく、「ノマドに憧れる人々」に対するセミナーや本を売ることで儲けていることが少なくないことが分かる。
(中略)
また組織を離れたがる人が見過ごしがちなのが、組織にいるときに業務を通じて自然と入ってくる情報や、得られる人脈の価値だ。フリーランスになると自分の身の回りの範囲のこと、今手がけている仕事の情報しか入ってこないために、自分が働いている業界で、どんなものが求められていて、何が時代遅れとなりつつあるのか「鼻」が利かなくなっていく。この感覚の鈍化は、一年二年では、はっきりとは分からないが、数年が経つと取り返しのつかないギャップとなることがある。
(中略)
ノマド、フリーランスとして働きたいのであれば、自分が今いる会社を辞めて、それでも自力で本当に競争力があるサービスを提供できるか、それとも企業にとって「使い捨てできて都合のよい期間工のような人」で終わるか、客観的に見極めることが肝要だろう。
(「君に友だちはいらない、p75~p79)
この考え方に、僕も激しく同意します。
ファッションや自己承認欲求だけで「フリーランス」は務まらない
僕はかれこで、5年ほどフリーランスを続けてきました。
最初は翻訳・通訳業で「来た仕事は何でも受ける」という、貧乏暇無し状態のフリーランスから、今後のことを考えて専門性を絞って翻訳業の中でキャリアチェンジをして、更に電子書籍出版やセミナー業、複数のブログ運営など、多角的に事業を展開・増強してきました。
そんな僕からすると、SNSを駆使して必死に「情報発信」をしながら「ぶらんでぃんぐ」をしている多くの「フリーランス」の方々は、控えめな言い方をしても「レベルが低い」ように見受けます。
僕からすると、ああいう人たちはただの「ファッション」として、そして「自己承認欲求を満たす」ために、ひたすら「ぶらんでぃんぐ」をしているようにしか思えないのです。
このブログを読んで下さっている方の中で、会社員であれフリーランスであれ、あるいは法人経営者であれ、ある程度仕事で実績・結果を出され来ている方であれば、仕事はファッションではないし、ましてや「自己承認欲求を満たす」ためのものでもない、ということは、お分かり頂けるのではないかと思います。
どんな仕事であれ、クライアントの希望や意向があって納期があって、それをクリアするように捌いていくのが「仕事人」としてのあるべき姿ではないでしょうか。
そういう意味では、仕事を「ファッション」でやっているヒマなんてありませんし、自己承認欲求なんて満たしているヒマもない、もっと厳密に言うと、きちんと仕事をして相手からも評価をしてもらってフィ-が払われれば、それで「自己承認欲求」はある程度満たせるものなんですよ。
なので、特に20代の「フリーランス」に多いのですが、なぜわざわざSNSを使って「ぶらんでぃんぐ」をするの?と、クライアントワークを続けてきた僕であれば不思議に思ってしまいます。
何のために情報発信をするのか?
もちろん、ブログなどを使って自分の価値観を伝えて情報発信をする、ということは、しないよりはしたほうがいいことだとは思います(僕も実際に、そのように情報発信を続けてきました)。
しかし、大切なのは、その情報発信の目的が何で、誰をターゲットにしているのか、ということを考える必要があるということです。
基本的に、、情報発信を含む「ブランディング」というのは、自分の顧客や見込み客に対して行うこと、と考えるべきです。仕事関係の内容をブログに書くのであれば、将来のクライアント候補が「この人に仕事を頼んでみたいなあ」と思えるような内容を取り扱うべきですし、企業のホームページを見れば分かりますが、必ず自社のサービスや強みについてよくまとめられています。
翻って、SNSを主戦場として必死に、人海戦術で「ぶらんでぃんぐ」を行っている「フリーランサー」の人たちは、一体誰をターゲットにしているのか?というと、そのコンテンツの読者、というのが1つの考え方です。
インターネット(特にブログ)を使ってフリーランスとして活動している人の中には、ブログでのアフィリエイトやnoteの販売、オンラインサロンの運営等を「商品」として取り扱っている人も多くいますが、結局は見込み客を確保するために、必死に情報発信をしていると考えるのが、合理的です。
しかし、上の瀧本さんの説明にもあるように、SNSなどを使って必死に活動しているフリーランスがそもそも「会社を抜け出しても十二分に仕事ができる」人材かと言えば、クエスチョンマークが付いてしまうのも事実でしょう。
なぜなら、もしフリーランスとしてきちんと顧客を獲得して仕事ができているならば、そもそもインターネットでの「ぶらんでぃんぐ」は必要ないからです。
会社員のトップレベルが、フリーランスの最底辺である
これは僕の師匠が話していたことなのですが、そもそもフリーランスというのは、「会社員のトップレベルでようやく、フリーの最底辺」という等式が成り立つものなのです。
つまり、会社の中ではピラミッドのてっぺんにいる状態で、ようやくフリーランスのピラミッドの一番下である、ということです。
最近の「新卒フリーランス」「海外フリーランス」の世界を見ていると、そもそもこの理屈を理解していない(というか知らない)ように見受けられる人が多いように思います。
僕の場合も、会社に行けなくなって退職をしてからやむなく独立、という経緯はあるのですが、営業の仕事である程度の成績は残していましたので、会社員として全くダメだった…というわけではありません。
これから独立したい、フリーランスとして仕事をしていきたい人は、何も考えずに飛び出す前に、先人のブログなどを読みながら、きちんとその人たちの「経緯」を具に聞いて、入念に調査をされることをオススメします。
案外、インターネットで「ぶらんでぃんぐ」をしている人の多くは、情報を隠していたり、実際とは少し加工していたりして、本来の姿より「水増しで」表現していることも少なくありません。それを知らずに、発信していることを鵜呑みにして何も調べずに飛び出してしまうと、割を食うのはあなた自身になるかもしれないのです。
今回紹介した「君に友だちはいらない」も良書ですので、「ビジネスで結果を出している人が何を考えているのか」を知る、という意味でも読まれてみることをオススメします。
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